ワイルド・カード1「大いなる序章」(1)

ちまちまと再読しております、「ワイルド・カード」。どこまで読み進めるかは私のことなんで予断を許しませんが、読んだとこまでは感想なり短評なるUPしていこうと思います。需要ないのはわかってるけどね^^;

序幕 『ワイルド・タイムズ――戦後時代の口承詞』より

現代を舞台にしたアメコミ的ヒーロー群像劇、という印象が強かったけど、そうなんですよね、発端は異星人の来訪なんですよね。「地球が静止する日」が引き合いに出されてて、なるほどなぁ、と。
そして、異星人のBC兵器によって大多数は死に、ある者は肉体が変容する「ジョーカー」になり、一握りが超能力を得た「エース」になる、という設定も思い出しました。結構忘れてるもんですねぇ。

ブロードウェイ上空三十分

ワイルド・カード・ウイルスの散布をそれと知らずに防ごうとする戦争の英雄の物語。まだ、ジョーカーもエースも生まれていない時点での唯一の物語ですね。
ジェットボーイが悲しいなぁ・・・少年でありながら天性の操縦テクニックで英雄になる・・・という、実にジュブナイル的キャラなんですが、その活躍の場が「戯画的な悪党の退治」ではなく「戦争」というのが、悲しい。
持て囃されているのは誇張されたコミックブックのヒーローとしての「ジェットボーイ」で、彼、ロバート・トムリンを待ち受けているのは帰還兵のそれとまったく一緒。しかも、貴重な少年期を失った後に、待っている者はコミックブックのネタを求める編集者だけで、他には誰もいないという。
「結局、現実にスーパーヒーローなんて存在し得ないんだよ」
と言われてるようで、一抹の寂しさがありますね。でも、リアルを追求したヒーローモノが殆どダークな路線にならざるを得ないのは、やっぱりそれが真理だからなんだろうなぁ。