「涼宮ハルヒの消失」

欠点は、原作かTVアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」と、せめて2期のジョン・スミスの件を観ていないとチンプンカンプンな内容である、というとこくらいか。(以下ネタバレあり
確か、上映時間は240分だったっけ?その間まったく退屈しなかった。ほぼ日常芝居で占められるアニメ*1で、これは驚嘆に値すると思う。
乱暴に要約するとキョンが長門を振ってハルヒを選ぶという話。つまりヒロインはハルヒなのだがスクリーンに出ている時間は遥かに長門の方が多いという構成が好き。
あ、いや、別に「おにゃのこらしさを獲得した長門がいっぱい出てて萌え〜」というわけじゃないよ?逆に、私は長門萌えには至らなかった。いや、可愛い。確かに可愛いくいじましいおにゃのだ。エヴァの綾波レイが徐々に人間らしさを獲得していくのと同種の魅力がある。
しかし、本来ないはずの「可愛らしさ」「女の子らしさ」が秀逸であればあるほど、より一層改変された世界の「違和感」の象徴として意識されて、私にとって、おそらくキョンが朝倉に抱くと同様のおぞましさ*2があった。
つまり、それだけ本来あるべき「涼宮ハルヒ」の世界を、キョン同様「楽しい」と思い、求めていたのだね、私は。そしてその世界を「楽しく」したらしめているハルヒ×キョンというカップルも。
ようするに、不在期間がどんなに長かろうが、エンディングの歌が長門だろうが、エンドロール後のラストカットが長門だろうが、個人的にはハルヒ×キョンに集約される物語だった。
前半の長い「ハルヒの不在」を経た、再会と、ハルヒハルヒである事のカタルシスがもう素晴らしい。ハルヒというヒロインの、その存在感の圧倒的なことよ!*3
さらに、終盤のキョンによる自己対話シーン。それはチト冗長かつ大仰だが、しかし、あれはまさに「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」ラストにおける諸星あたるの空中ダイブに相当するのだよね。それまで拒絶してきた(しかし内心デレていることは明白な)主人公が、最終的にヒロインを受け入れる決断を下す、まさにクライマックスなわけだから、多少大仰で丁度良いのだ。
  
そして、「当て馬」的役回りでありながら長門を大々的にフューチャーする、そのキャラクター戦略にも舌を巻く。長門はキョンに振られたことによって、公式に、誰もが「長門は俺の嫁」と主張(妄想)「してもいい」キャラになったのだ。
劇中の展開としては損な役回りでありながら、キャラ人気は明らかに底上げされるであろう、その仕掛けには素直に感嘆する。
  
それにしても、キョンが皮肉屋の傍観者(あるいは自称犠牲者)の位置から、明確にその世界=ハルヒを求めることによって、作品はテーマ的に完結してしまったように思う。原作小説のその後は知らない*4けれど、これで幕を引いちゃうのが綺麗な終わり方のように思う。*5
そんなわけで、レンタルやネットを駆使して予習の上、劇場に足を運ぶ価値は充分にあると思うよ。単純に、アニメ映画としてはかなり高いクォリティだしね。

*1:私はこのシリーズをよく現代版「うる星やつら」と表現するのだけど、うる星ほど素っ頓狂な事はあまり起こらないアニメだったりする

*2:ちょっと大仰かな。いい表現ないかな

*3:勿論私はハルヒ派ですが何か?

*4:確か「〜消失」の続巻に蛇足感を覚えて、以降未購入

*5:角川と京アニは続けると思うけど